いよいよ年末冬支度。クリスマスツリーなども飾られて街は華やかになってきました。イベントの多い季節の到来です。当然、「記念写真」を撮る機会が増える時期でもありますね。春からめきめきとスマートフォンでの撮影能力を向上してきたあなたにとっては、まさに腕の見せどころです。
この連載では、撮影技術だけでなく「一回の写りの悪さにめげないで、諦めずにいろいろと挑戦するココロ」をお伝えしてきました(…というつもりです)。
しかし先日、読者の方からこんな質問をいただきました。
「ちょっとしたことで写りが変わるって、実際にはどういうことですか?」
なるほどなるほど。伝わってないですね、私のココロ。今回は改めて、「ちょっとしたこと」とは何なのか、そこに触れたいと思います。
同じテーブル・同じ被写体・3つのアングル
人物撮影における写真の良しあしとはズバリ、クマ・しみ・しわ・ほうれい線など、顔のアラが写っていないかどうかです。
スタイルについては、足長&小顔!…という定義を私なりに作ってきたわけですが、それは撮影時の角度やちょっとした工夫で、しっかり“盛る”ことができます。この連載で何度も繰り返しお伝えしてきたことではありますけども。
よくあるカフェでのツーショット撮影です。
かわゆいあの子達から撮って撮ってとせがまれて、向かい側の座席からハイチーズ! 伸びるとされる画面の隅に顔もきていないし、なかなかいいバランスですね。しかし「盛れている」とは言い切れません。
次は少し上から撮ってみましょう。
なんのアプリも使わず、ノー加工でこの仕上がり。顔面がツルッと綺麗になりました。
これは、最初の写真を撮影した位置から30センチほど上にスマートフォンを上げ、下に傾けて撮影した作例です。
このときカフェのテラスでは、光源となる太陽が撮影者の後ろにありました。
なので、正面から撮影すると顔の下側が暗くなってしまい、ほうれい線が強く出ます。それを回避するために、顔面がうまく光源に向くよう少しスマホを上にあげたわけですね。こうすると、光が均一にあたって肌が綺麗に映ります。
次は、撮影者であるあなたと、あの子たちの座っている位置を交代してみましょう。
晴れた日の雰囲気がよく出ている逆光写真になりました。
すべて同じテーブルでの出来事。大して移動していないわけですが、3つの写真でそれぞれ印象の異なる仕上がりになったこと、ご理解いただけたでしょう。
特別なことはなにもしていません、ただ、カメラと人の位置を変えただけです。
逆光写真では顔面がやや暗めなので、カフェならばメニューなどをレフ板代わりにしても良かったかもしれません。ただ、そうした「プロっぽい」技を駆使せずとも、少しの工夫でもこんなに印象が変わるのです。
「ちょっとしたこと」って実際にはどんなこと?
さて、今度は立ちポーズです。あなたはあの子から、SNSにアップする用の写真撮影を頼まれました。服のコーディネートがわかるように撮って欲しいというのが、かわゆいあの子の注文です。
この日も良く晴れていて撮影日和。
顔面は画面の真ん中、隅に向かって伸びるレンズの特性をいかしてうまく足長に撮れています…が。顔がダメ。深い光と陰の差がくっきり出ており、昔の絵画のようです。このままさらに寄って撮影してみると…。
ぎゃー!!! これヤバイ。これはマジでヤバイやつ。太陽がまともに当たっているところはメイクもとんでしまっているし、笑顔によってさらに深くなったほうれい線や表情ジワがクッキリと!! 眼球も陰になってしまって、目に光もなくまったく盛れていません。盛れるどころか盛り下がる顔面になってしまいました…。
こんな出来栄えでは、かわゆいあの子に嫌われてしまいます。焦る気持ちを抑えて、冷静に光やアングルを考えて撮影し直しましょう。
今度は全身が日陰に入る場所に立ってもらいました。こちらも画面配置はオーケー、足長小顔に見えています。
寄りの写真を見ても大丈夫。顔面の陰影も柔らかくなりました。これで一安心ですね。
…では。この違いを生んだものは何なのか、改めて検証してみたいと思います。
最初に撮影したヤバイ写真をA、後で撮影した成功写真をBとして、撮影場所を図に表しました。
ご覧の通りで、ただ真ん中にある植木を挟んで立ち位置を変えただけです。いずれもフラッシュ、レフ板になるものは使わず、スマートフォンでただ撮影しただけの作例。それでこの違いですからね。いかに、撮影シチュエーションをうまく使うことが大事なのか、お分かりいただけたでしょう。
つまり、「加工なしでもちょっとしたことで写りが変わる」のちょっとしたこと、というのは…。
①スマートフォンの位置
②スマートフォンの角度
③あの子の立ち位置
で『光が均一に顔面にあたる』状況を探りましょうということなのでした。
本当にこれだけ。これだけで仕上がりがここまで変わるのだから恐ろしい。
同じ場所、人でも、少しのことで写真の中の「顔面レベル」は、大きく上下します。あの子を少しでもキレイに撮るために、いろんな方法の引き出しが増やせるといいですね!
恨みたくないのです(苦笑)
今回のABの撮影は、普段から「被写体」であることを生業にしている、かわゆいあの子に撮ってもらいました。
そのおかげで、全身ポーズの足長小顔効果はバッチリ。さすがです。しかし、Aの写真を撮っているときに眉をひそめながら、「うわーこれはかなり嫌だなぁ…」という言葉が。
撮られる側からすると、画面を見ただけでも嫌な気持ちになってしまう…。その、心の叫びを聞いた私は内心、「これはかなり期待が持てるイヤな写真だぞ!」とワクワクしたわけですが、実際に出来上がった写真をみて、「これは…かなり…嫌…」とすっかりへこんでしまったのでした。
写りの悪い写真を見ると、被写体の側はきっちり落ち込みます。そして、かなりの確率で、撮影者を恨んでしまう(笑)。このエピソードで、そのことを感じてもらえると嬉しいです。
撮影協力
キシコ@kishico
non@monhannoero
テレジア先生への公開質問
デリカシーがないとよく言われますが、それってどういうことですか? (会社員:男性 30代)
えぇ!? よく言われるの? それは問題だわ…と思いつつ、そもそも「デリカシーっでなんだろう?」と検索してみました。
なるほど。辞書的にはdelicacyという英単語に、「優雅」や「上品さ」などさまざまな意味があるのですが、ネイティブの方からすると、「珍味」という意味で使われがちなんですね。「珍味がない」とはこれ如何にという感じですが、そこを掘っても仕方なし。あくまで日本における「デリカシーがない=繊細さがない」という意味合いで話を進めましょう。
「あの人デリカシーないんだものー!」などと使われた場合、気遣いに欠けたり、場の雰囲気を読まないで発言したりする人だと思われている…と言っていいでしょう。容姿のことだったり、他人に知られるのはためらわれるような内容の話を、皆の前で公然と話す人。そういうアレです。
しかし、相談者さんが「空気読めない奴」だと、一方的にけなされるのも気の毒な気がします。
そもそも、「空気を読め!」と言われて読むことができたならば、デリカシーがないと言われることはないでしょう。また、会話する相手との相性や関係性でも、「デリカシーがない」の基準は変わりますからね。
国によっては、はっきり思ったことを伝えるのが当たり前だったりもするでしょう。一方で、日本は「察することが美学」とされる文化圏。「和をもって貴しとなし」なわけで、和を乱すような発言をわざわざするなというのが、日本の伝統的習慣と言えます。はっきり何かを言われることが少ないため、そうした発言に出くわした瞬間に、「デリカシーがない」とみなされてしまう可能性はあるでしょう。
一方、「本音で話すことが正直で良い!」という勢力もいますよね。しかし、本音を言うことと、なんでもかんでも思ったことをそのまま言うのとは違います。中には、「サバサバしてる、裏表がないワタクシ」という態度で発言しつづけた結果、周りからは「デリカシーがない」と思われてしまうケースもあるわけで、なかなか難しい問題です。
結局のところは、それを発信する側と受け手の相性の問題でしかないように思えるのです。だから、相談者さんがデリカシーがないと言われる状態を失くそうとして、日々思い悩むようなことはない。私はそう思うのです。
空気を読めているか、その場の雰囲気を壊さないか、失礼にあたらないかなど、はっきりした答えが出ないことを考える続けるのは、あなた自身の個性を潰すことにもなりますし、余計に悩みが増えるだけ。その悩みに押しつぶされて、うつ病になったりしたら大変ですからね。
とはいえ。
やっぱり無意味に嫌われたくもありません。そこで、私なりに出した答えがあります。それは、「発言する内容が自分にも相手にも得にならないことはわざわざ言わない」というものです。
聞かれても相談されてもいないことを発信するのは、ちょっと責任が重くなります。わかりやすく言うと「ちょっと太ったんじゃない?」という言葉。これはだいたいのシチュエーションで、失礼にあたる発言です。
受け手が、一生懸命ダイエットしているような状況だと、ただ単に喧嘩を売っているだけの発言になります。一方で、受け手がなにかの病気で痩せてしまい、ちょうど太りたいと思っていたような場合は、嬉しい言葉となります(ま、その場合は「ちょっとふっくらしたね」くらいの言い回しが良いのでしょうけど)。
その発言をすることで、双方が得になるかどうか。「得になる」というと聞こえは悪いですが、言われた方がそれを聞いたことによって不愉快になるかは判断できなくても、なんの得にもならないかは判断しやすいかと思います。
例えば「老けたね」。それをいうことで誰か得をしますか?
言ってしまったほうは恨まれるし、言われた方も「老けたかなぁ」と悩みます。そもそも、相手が太ったり老けていたとしても、そのことはあなたになにか損害を出していますか?
そう言われたことによって美容に励み、結果的に若々しくなったとしても、「太った?」「老けたね」と発言した人が感謝されることは、稀なことでしょう。中には、「ふつうは言いにくい、本当のことを言ってあげるのが私の使命だ」と思い込んで、あえて発言する人もいますが…。
そして、こうした会話は相手との関係性が非常に影響してきます。時に、「太った」「老けた」といった外見に関することは、相手を心配して発せられる場合もありますよね。例えば、相手が病気になったのではないかと、心配するようなケースです。
家族や親友など、近しい関係性であれば、相手の言うことが多少気に入らなくても、気持ちの上で許せることはあるでしょう。一方で、関係性が近くても、「やっぱり嫌なもんは嫌!」となることもありえます。そう、家族でもそう思われるときは思われる。これは難しい問題です。
ですので、完全・絶対・100%間違いなく「デリカシーのない人」と言われないこと自体が、無理な話といえるでしょう。「失言してしまったな」と後から反省することは、誰にでもよくあることなのです。
さて、あなたのその発言。それを言うことで、双方の、とくに言われる側の得になりますか? あなたがそれを発言する必要、本当にありますか? そのことについて、相手から意見を求められていますか?
その上で自信をもって発言して、不愉快になられたのなら、それは相性が悪かったということです。
もし「デリカシーがない」と頻繁に言われるようなら、あなたが属しているそのコミュニティが、あなたに合っていないのかもしれません。
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